〒811-2202 福岡県糟屋郡志免町志免2-3-41

TEL:092-936-6006

インフォメーション

Life is R&R②

Life is Rock’n Roll (院内新聞Double Fantasyより抜粋)

John Lennonその②:Strawberry Fields Forever
*以前院内新聞に載せた内容を一部変更しています
今回その②は、彼の作った曲の歌詞を中心に考えてみようと思います。

 Johnが作った曲で最初のヒット曲は何と言っても”Please Please Me”でしょう。”Come On, Come On”や”Oh Year!”など過去のロックン・ロールのお囃子(ハヤシ)とも言える合いの手を入れながら、beatの効いた展開のメロディーのブレイクは、それまでの甘いだけのラヴ・ソングとは一線を隔していました。まずこの極上の曲一発で世界を制覇しましたが、歌詞は単なるteenage Popでヒット・チャート狙いのbeat の効いたロックン・ロールでした。

 Beatlesの全ての楽曲は殆んど作詞作曲”Lennon and McCartney”(L&M)となっていますが、これは当時アメリカのヒット曲を量産するPop Musicの作曲家はよく2人でペアを組みチームを組んでいたためかと思います。Rolling Stonesもまたしかり”Jaggar and Richard”となっています。しかしL&Mは2人で一緒に曲を作っていたわけではなく、2人の全く違ったメロディー、歌詞が合わさって一つの曲になり、スパイスが効いたBeatlesサウンドとして成り立っていました。

 しかし!! このころアメリカではBob Dylanがデヴューし、その歌詞にJohnはぶっ飛んだはずです。彼は「今からは単なるR&Rだけをやっていれば良い訳ではない!」と考えたはずです。曲はそれまでのラヴ・ソング中心のI, You, He, Sheの一から三人称の男女間のドーシタ、コーシタの歌詞から、殆んど一人称のI thinkが隠された私的な内容へと変化しました。自分の悩み・ジレンマ・ある時の情景・状態を自らの思いを込めて、まるでその時点での彼のエッセイのように、または私小説を書くように彼は詩を作りました。”It’s Been A Hard Days Night!” 映画の主題歌ですが、”I’ve been working like a dog”(ヘトヘトになるまで働き続けた)と、全くLove Songではありません。アイドル映画を作ろうと計画された映画のタイトル曲がこれです。次の映画のタイトルもなんと”Help”です。これは「FanをBeatlesが助けてあげるよ!」とかゆうようなアイドルみたいな歌詞ではなく、誰か自分をここから救い出してくれと言う意味の歌です。Beatles Soundが確立されたラバー・ソウルと言うアルバムでは”Drive My Car”というguitar, bass, vocal共にPaul, Johnが同時にシャウトする最高の共作曲もありますが、Johnの作った曲は”Nowhere Man”です”He is a real nowhere man, sitting in his nowhere and”。何というやる気のなさ!!次のリボルバーと言うアルバムのA面最後、B面最後のJohnの曲は”She Said She Said””Tomorrow Never Knows”と言うsoundも歌詞も難解な曲で、Drugの影響が大であるのは明らかですが、一般人には何を歌っているのかは分からず読んだ本の中の観念的世界や宗教的世界を現す内容と変化しました。She Said ”I know what it’s like to be dead, I know what it is to be sad” when I was a boy Everything was right” (彼女は言った「死ぬ事がどんなことなのか、悲しいことがどんなことか知っている」と。 子供での時は全てがうまく言っていたのに)、”Love is all and love is everyone it is knowing, it is knowing”(愛がすべてなんだ、愛は皆のこと、それを知ること。)と言うような内容です。

 ここでもう一度当時のJohnの置かれた環境・立場を考えて見ましょう。Paulはメロディー・メーカーとしての卓越した才能を開花させ、”Eleanor  Rigby”や決定的な”Yesterday”などの名曲を世に出します。世間のBeatlesのイメージ・人気は、殆んどPaulの作った曲の完成されたメロディーによることが大きかったと思われます。それらの曲もL&M名義でクレジットされたためにBeatlesは、BeatlesBandとして、L&Msong writerとして、世界的名声を得ることが出来ました。そのためにJohnは自分が好きな、ある意味自分勝手な曲をアルバムにぶち込むことが出来たのです。

 加えてJohnはPaulほどのメロディー・メイカーの才能が自分にはないことを理解したうえで、PaulのようなスタンダードとなるようなLove Songは作れないと思ったことでしょう。また時代もお気楽なポピュラー・ミュージックの時代からRockの時代に変わりつつあり、歌にメッセージを加える流れが出てきました。さあこうなると元来アウトローであるJohnの心の中に、革新的な音楽形態を試そうという考えが出てきたに違いありません。JohnはPaulに対抗するため、また自分がBeatlesの中でリーダーとしての優位を維持するために歌詞の内容を吟味し、最終的に一般人には理解しがたい内容の歌詞となります。比喩や韻を含んだ意味深な歌詞はJohnのカリスマ性を強調させ、Paulとは違った土俵で音楽を作るという作業に専念することとなりました。このようにJohnの曲・歌詞を間接的にJohnたらしめる内容に変化させたのは、Paulの天賦の音楽家としての才能・加えてその時代の背景が影響していたと考えられます。

 次に彼の前に現れたのが小野洋子です。音楽の本質はメロディーだけではない、何を歌うかを含めartとして音を考える、パフォーマンスの一つとしての楽曲を発表すると言う結論に達したのです。以後は彼の歌詞は1人称の歌は殆んどすべて小野洋子に向けての内容で、それ以外のWe, Theyなどの主語の内容の歌はpeople, humanを感じさせる世界に向けての内容の歌詞へと変化しました。”All You Need Is Love””Nothing you can do that can’t be done. No one you can save that can’t be saved”(出来ないことはできない!救えないものも救えない)”All You Need is love, Love is all You Need.”文字通り(みんなに必要なのは愛なんだ!愛こそがみんなが必要とするものなんだ!)と普遍的な世界的視野の歌を作詞し、”I Am A Walrus”で以後のJohn Lennon的作風は完成されました。”I am he as you are he as you are me and we are all together”(僕は彼君も彼のように、君も僕のようにみんな一緒なんだ。みんな単なるセイウチと一緒!)”Revolution”で学生運動などの世界全体の革命風潮に彼自身の見解を示し”We all want to change the world. But When you want to destruction, don’t you know you can count me out”(みんなこんな世界を変えたいよ!でも君は破壊が目的なら、君たちの運動に関しては、俺は外してくれ)と歌いました。Don’t Let Me Downの“Nobody ever love me like she does. I’m in love for the first time.”(今まで彼女ほどに俺を愛してくれた人はいない、初めて恋に落ちたんだよ!)と、 繰り返して言いますがLove Songの対象は以後すべてYoko Onoに対してのものとなったのです(何という幸せ!自分のための歌が何曲も世界の人に知られているのですよ)。したがってJohnの歌詞に影響を与えた要因の第二はYoko Onoの存在そのものと考えられます。
 Beatlesの後期よりJohnはYokoと共同でアルバムを作りましたが”Peace in Toronto”, “Wedding Album”, “Two Virgins”, “Life With A Lion”という殆んど売れないアヴァンギャルドな音楽を行いました。(内容に関しては次号で解説します)さすがにレコード会社からも見放されたのか、以後は自分(John)のソロとYokoのソロを別に同時に発売するという方法をとりました。(無理やりレコード会社に納得させたのに違いありませんが、しかしそのおかげで今の我々はYokoの音楽のシャワーを受けることが出来るようになったのです。)

 上記のアバンギャルド路線後、彼の単独ソロ・アルバムの歌詞は、日本の禅の文化や俳句・短歌などのの影響を受けたのは明らかのように思います。”Plastic Ono Band”日本名”Johnの魂“と呼ばれているアルバムではバックの演奏は極力限界までシンプルでJohnのギター、ピアノ、クラウス・フォアマンのベース、リンゴのドラムのみで装飾音を完全にそぎ落としたデモ録音のようなサウンドです。さらに歌詞の文節は短くシンプルで、内容を説明するような歌詞ではなく、言葉は単純な単語で構成され、イマジネーションを加えて初めて成り立っています。これらは小野洋子を通しての日本文化を通過した結果のように思います。”Love”という歌はまったく簡素な歌詞の曲で”Love is real, real is love. Love is feeling, feeling love. Love is wanting to be loved.” まるで行間の意味を含めた俳句や短歌を思わせる簡潔な文章です。 “Imagine”になると”Imagine there’s no heaven.・・・Imagine there’s no country・・・Imagine no possession・・・You may say I’m a dreamer. But I’m not the only one. I hope somebody you’ll join us. And the world will be as one.” ・・・の部位には説明の詩が入りますが、Imagine~の繰り返しだけを取り出すと簡潔な文章で本質をつく内容で、現在まで普遍的に親しまれるどの時代にも合う内容の詩です。
 単独ソロ・アルバム3作目のマインド・ゲームスのジャケットの右下には小さくJohnの印鑑が押してあって、漢字で<除雲零音>(じょうんれいおん=ジョン・レノン)と描いてあります。私の勝手な解釈ですが、装飾を全て排除し、音を無音に近付けた状態と考えられないでしょうか?雑念を排除し心を無にする座禅の教えと考えられないでしょうか?したがってソロ・アルバムに入ってのJohnの歌詞に影響を与えた第三の変化は小野洋子がもたらした日本伝統文化が予想されます。
 以上今回の内容をまとめますと、彼が最終的に行き着いた所はLove Songを個人的には小野洋子に捧げ、普遍的なLove(愛)についての曲は、世界・人類に対しての人間愛として、「愛が平和をもたらし、人類を存在させる唯一のものだ」ということを言いたかったのだと思います。変化の途中で急に人生を中断されたので、その後の彼の活動は知る由もありませんが、最後のアルバムを発表した内容から想像するしかありません。今この現在に生きていたらどうなっているでしょう。Imagine・・・想像ですが、彼の望みは、最終的に到達した歌詞を単純なRock’n Rollのサウンドにのせてやる(演奏する)というのが彼の美学ではなかったでしょうか?しかしながら今も生きていれば全く違ったことをしていて、また違う人間像を見せていたかもしれまん。

 ちなみにYoko Onoはつい最近もアルバムを発表し、完璧な音楽を作っています。彼女は真の芸術家・音楽家です。(令和4年現在では少し前のWar Zoneも戦争反対の意味の内容です)
To be continued