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Life is R&R③

Life is Rock’n Roll(院内新聞Double Fantasyより抜粋)

John Lennonその③:I Want You
 その③は、ギターを含む彼の作ったサウンド面を中心に考えてみようと思います。
*以前の院内新聞に載せた内容を一部変更しています。

 まず彼が育ったリヴァプールは港町で、大西洋を経てアメリカとの間に船舶の行き来が多い場所でした。言い換えればアメリカからの文化が入り込み易いところ、古くはアフリカーアメリカ間の三角貿易の中継地点でした。そのような土地柄のために船員のための娯楽として、快楽的・享楽的な風土が街に存在したことは必然だったと思われます。さらにその後も船員が持ち込む黒人音楽のレコードが手に入れやすく、Jazz, R&B, Rock’n Rollは彼が生まれ育っていく間にアメリカからそれらの音楽が自然に輸入されていたわけです。従来の毒の無いなポピュラーミュージックではない、自ら演奏し自ら歌うカッコよさに、一部のイギリスの若者たちは、戦後の日本同様アメリカへの憧れを感じていたと思われます。その中でややツッパリ気味の若者はアメリカの黒人を中心としたポップ・ミュージックのコピーを始めました(日本と一緒:ロカビリーやロケンロール、ジャズのビッグ・バンドなど)。

 Johnも言わずもがなです。まずバンドを作る際にギターを練習し、当然目立ちたいので、ヴォーカリストも兼ねます。動機はもちろんカッコつけたい、女の子にもてたいです。歌ってギターも弾くミュージシャン、Chuck Berry、Buddy Hollyなどが当初Johnの目指したところと考えます。俺が大将スタイルの左右に股を開き、ギターを抱えるスタイルは後のNew York Punk、British Punkスタイルに引き継がれます。彼はギターを抱え、ギター以外にも唄も歌わなければならず、間奏の決めフレーズ以外は基本的には歌のバッキングを練習したに違いありません。ギター・コードを彼より知っていたGeorge Harrisonを リード・ギターとし、もう一人ヴォーカルが圧倒的にうまいPaul McCartneyを歌えるベース・ギターとしました。Johnと違ってPaulのレパートリーは高音が伸びやかに出るシャウト系の、(Rock’n RollではLittle Richardなど)怒涛の、これでもかヴォーカル専門のミュージシャンがメインでした。Johnはギターも目立ちたい、ヴォーカルも目立ちたいとの理由でChuck Berryをお手本とし、印象的なギター・リフを加えた歌のバッキングを考えます。したがってPaulの弾むリズミックなブンブン・ベース・Ringの歌うドラム・サウンドがあれば、Johnはbeatを重視したバッキングおよび印象的なリフをguitarで鳴らすだけでよかったのです(Day Tripperしかり、I Feel Fineしかり)。Kieth Richardsも同様で、あのリフがなければRolling Stonesの曲は成り立たないというギター(Jumping Jack FlashしかりBrown Sugarしかり)、両者ともに、決して流麗なリードギターで聞かせるタイプではなく、そのリフで勝負をかけて、印象的フレーズで勝負するタイプと思われます。イントロのギターリフの音だけで、注意を自分に集中させると言うことです。

 最初に彼が好きになったのはRock’n Roll次に加えてDoo Wopだったでしょう、そのうちに都会的なセンスを持ったMOTOWN サウンド(Mortor Town = Detroit)の出現があり、特に女性版Doo WopのGirls Groupのコーラスに興味を示しました。次第にBeatlesはオリジナル曲を作り、カバー曲をしなくなりました。ソロを歌えるシンガーが2人おり、キャッチーなコーラスができる歌えるシンガーが3人いたからです。Paulの単なる伴奏だけでない歌うベース・ラインに加えて、Ringo Starのあまり、リズムを刻まないドラム、George Harrisonのカントリー・テイストを加えたギターで独自のBeatles Soundを作るようになったのです。それぞれが非常に個性的な演奏なので、Johnはギターのカッティングのシャープさ・間の取り方・印象的なリフに特化して自分の作った曲の構成を考ました。自分の歌唱力を補うために、歌と自らのギターを同次元で考え、両者を結合した一つの音の固まりとし、ギターのバッキングを単なる歌の伴奏ではなくしたのです。しかし彼は自分の声が嫌いであったらしく、ピッチを変えたり、エコーを過剰にかけたり機械的に変化させたりして自分の曲を歌い、自分の声自体がすばらしいサウンドなのを最後まで気がつかなかったようです。あのTwist and Shoutのナチュラル・ハスキーの声が本当のJohnの声です。
 
 しかし自分の声と違ってギターサウンドに関しては、そこいらのGuitaristと違い徹底的に突き詰めたようです。最終的にギターの音自体(空間を震わせる振動)の音色やインパクトを研ぎ澄ますことに集中しました。解りにくいかもしれませんが、誰もがギターを指で押さえてC(ド)の音を出すことができます。しかし「最高のC(ド)を出すにはどうすればよいか」と言うことに命を削るということです。音がすべて!、メロディーやテクニカルな装飾は音の付属品ということです。私がこの頃の彼の最高のギター・パフォーマンスと考えるのは、1969年のトロントであったロックン・ロール・フェスティバル(Peace in Toronto)の最後に自分のギターをギターアンプに立てかけて永遠なるフィードバック・サウンドをかけてステージを後にする行為です。ステージにはもうバンド・メンバーは誰もおらず、永遠とギターのフィードバックサウンドが、唸る様に会場に流れ続ける様をvideo, DVDは記録しており、茫然自失とも言うべき観客の驚きの表情は一見の価値があります。モンタレー・ポップ・フェスティバルでJimi Hendrixがアメリカ・デヴューし、最初のステージを終えたときの観客の顔と一緒です。このときのバンドはLead GuitarにEric Claptonを従えたPlastic Ono Bandで、その演奏後にOno Yokoの驚愕絶叫パフォーマンスがあり、その後にGuitarのFeed Back(フィード・バック)のみが最後の演奏?でした。是非映像で見ることをお勧めします。まさに歴史が変わった瞬間の「これは何なんだ!!!!?」という、人々の表情が記録されています。あのJimi Hendrixにも出来なかった演奏者不在の演奏、これがJohnのGuitarの音のみで出来ているというパフォーマンス。あまりにカッコよすぎる。その後の彼のGuitar SoundはPlastic Ono Band(邦題:ジョンの魂)と題された事実上の1st アルバムで、全ての装飾音をそぎ落としたGuitar soundとして完成されます。自分のguitarとpiano、クラウス・フォアマンのbase、リンゴ・スターのdrumのみで他の音は一切ありません。guitarはLeadでありSide Backingであり、彼の声と同じ次元の音として記録されています。Guitar soundは空気を振動させるエネルギーのひとつとして、声の振動とシンクロさせてリズム(波動)を作っています。そして最小限の音で全体を音の塊・エネルギーの塊としてのサウンドを作っています。テクニックで飾らない、演奏しないEnergy Guitar Sound.。唯一このアルバムに入っているSE(サウンド・エフェクト)は、アルバム最初に流れるお寺の鐘の音です。その音が消え入る直前に鬼気迫る声で”Mother You Had Me, But I Never Had You”と始まる、静寂から叫びへと変わるその瞬間、周りの空気を凍りつかせ、一瞬にして聞き手の意識も変化させてしまいます。物質の音・声の最高の結合(ハーモニー)で曲は始まります。(鐘の音を作るのにはチャイムの音を録音し、速度を遅くピッチを変えて、お寺の鐘のような重低音に変化させたそうです)このアルバムのサウンドは、この時期に彼が影響を受けた、禅や書道や俳句の世界を具現化したものと私は考えています。次のアルバムのImagine(イマジン)や、Mind Games(マインド・ゲームス)は一般人にも理解しやすいアレンジを加えています。

 彼はもしかしたら、もうちょっとしたら、自分の声の素晴らしさに気がついただろうと思うと非常に残念です。
Yoko Onoが数年前に出した(当時の)Double Fantasynaked version(Johnの声にechoをまったくかけていない、生唄version)を聞くとJohnが録音したそのままの生の声が聞けます(小野洋子は彼の声のすごさを知っていたに違いありません)。

 E=mc2という公式をみなさん見たことがあると思います。そう相対性理論で有名なアインシュタインが著した式です。エネルギーは質量と速度の2乗に比例するという公式です。言い換えるとこの宇宙内では小さな質量でも最大光の速度の2乗倍に比例したエネルギーの産生が可能だということです。核分裂や核融合で産生されるエネルギーを考えると解るかと思います。個人が小さな存在でも物理的には大きなエネルギーの源となることが可能なことを意味していると思います。彼のギターは、すべての飾りを捨てた上で歌と分離しては曲が成り立たないヴォーカル・ギター・サウンドの構成成分であり、彼の発するサウンドは、エネルギーとしての最大の音の力・うねりを目指したと私は信じています。

 

 

付録)
*Johnの特集は最後なので、前回アナウンスしたように、一般にはほとんど触れられることがないJohn&Yokoの1作目から3作目までのアルバムについて少し触れます。(最近はCDの再発もあり耳にしたヒトの以前よりは増えたと思います。)

 Johnのsolo albumはYokoとの共同名義でWedding AlbumTwo VirginsLife with A Lionという初期のものがありますが、一般の人は聞いたことはないでしょう。ウェディング・アルバムは中にJohn&Yokoのポスター・ウェディングケーキの写真・結婚証明書のcopyと共にLPが一枚の、今で言うBox SetでLPの内容はあの有名な公開ベッド・イン時のGive Peace A Chance(外にいた通行人にコーラスを頼みbed上でギター一本で行ったものとB面はJohnとYokoがお互いの名前を永遠と呼び合うというものでした。正に結婚の記録としてのドキュメントで、よほどのマニアでない限りは持っていないでしょう。またさらに結婚時のドキュメントとしてBeatles名義のシングルとしてはBallad of John and Yoko(ジョンとヨーコのバラード)と言う最高のR & R tuneを発売しました。どう考えてもJohnのごり押し発売で、全てJohnとPaulのみが歌・楽器を担当し、他のメンバーは入っていませんがこのPaulのベース・ギター、Johnの奇妙なバッキングのギターが最高です。Two Virgins, Life with A Lionは全くアヴァンギャルドな前衛音楽?で以上の3枚は当然のごとく殆んど売れませんでした。Two Virginsのジャケット写真は全裸のJohnとYokoの正面写真で、さすがにそのままでは発売できないので茶色の紙カバーで隠されていました。これは小野洋子と初めて結ばれた夜、その直後にJohnの家で2人プライベート録音したアルバムです。したがってその時の写真がアルバムの表紙という過激なものです。Life With A LionはYokoがJohnの子を妊娠して切迫流産で入院したときのBed上の写真が表紙でbedの下にはJohnが簡易bedで寝そべっており、日本でも発売されましたが邦題は”ビートル・ジョンにベッドはない“というわけの分らないタイトルでした。裏ジャケはJohnとYokoがマリファナ所持で警察に連行されるときの写真で、ドキュメントとして発売したように思いますが、良くわかりません。内容は完全な前衛音楽です。

 JohnとYokoは二人が存在したという記録を音・映像・文章・行動として記録するというパフォーマンスを実践していたようで、すべては記録(record)として保存しており、プライベートな家族写真も専用の写真家を雇い、生活そのものを記録の対象としていたようです。まるで自分たちを他人から見たような客観的な存在として、俯瞰図のように外部(違う次元の空間)から自分たちを見ていたのではないでしょうか?

彼は声・ギターを含む物質としての楽器を利用し、自分の行動(何を行い、何を世に残すか?)をパフォーマンスとして付け加え、この世界の中のJohnとしての存在を見事に残して去りました(自分の最期までパフォーマンスに変えてしまったかのような幕切れで)。   

 

今日は12月9日でJohn Lennonが暗殺された日(日本時間で)です。
早く世界の紛争が終わってほしいものです。
John Lennon特集はこれで完結です。

以上は10年近く前に書いた文章を少し変えたものですが、ほとんど同内容です。